存在の先の世界



ものごとを知るには、理性によって分析して知る、いわゆる分析知があります。
いわゆる科学的な知です。
もう一つの知は、理性でとらえることのできない全体知です。総合知といってもよいでしょう。
ものごとが相互にかかわりあいながら存在する関係についての知のことです。


松長有慶著 『 空海 般若心経の秘密を読み解く 』 より。


この言葉を、エネルギーで体験する機会に恵まれた。
いつもお世話になっているUnicaさんでの、アーティスト シド・マリークラークさんのエキシビション。
http://unica.link/events-news/exhibition/1332



 
シドさんの個展は、いつも気になりつつも扉を開く勇気がなかったのだな。
でも久しぶりの東京開催に、思い切って足を運んでみる。

何かどこかで、分かっていたんだと思う。
感じてしまう、受け取ってしまうことで自己の価値観がガラリと変わってしまうことを。


スペースに一歩、足を踏み入れただけでそれは始まってしまった。
宇宙講座や石塾と、同じ場所でいつも開催されている講座とは全く違った次元空間が出来ている。


エネルギーが降りて来る。
どの絵から・・・ということではなくて、ここの場所、空間全体が共鳴している。
脳下垂体が激しく反応して、それはまるで情報をインストールしているかのよう。


理解・・・という言葉の先を行く世界が、そこにはあった。


冒頭の松長有慶さん著の、こんな下りが頭を過ぎる。

『 私達に 「分かる」という頭脳の動きが起こる場合には、ものを仕分けることから始まります。
目の前に動くものがあります。 動と静を分けて、これは動くから動物だ、と他の静物から除外し仕分けます。
次に大きいから、蚤や犬や小鳥ではない、と分別して、長い鼻があり、耳も大きい、足が四本ある、色はグレイ。
という特徴を、他のものを少しずつ比べて分けて考えてみて、最後にそれが象だということが分かります。 』


この前日にもミネショの会場で私はこれをやっていたなと思い出す。
これがなんの石か、色は何色で、どこから来たのか、何という名前がついていて、金額がいくらなのか。
そう、私達はこうして、形而上的なモノゴトの視方をあっという間に忘れて、分離を繰り返すことで頭が理解しようとする。
Understand とはまさにこれで、モノゴトを自己の管理下、統制下に置くことなのだと思う。


般若心経の説く空の理解とは、この分離の理解を超えた先にある。
私にとってシドさんのアートは、その世界を体感させてくれるものだった。


とにかく、言葉にならないのだ。
言葉にするという作業工程が上記の分離の理解という頭脳回路の働きなのだからそれは当然で。



敢えて言葉にするとしたら ・・・ 全体を知覚するという体験を通じて見る意識の世界 だろうか。
まるで禅や密教の世界観を絵で見せてもらって、エネルギーを体感しているかのようだった。


それはまるで、絵を視る瞑想。 
言葉の制限が不要なその作品たちは、タイトルすら知る必要がなかった。
むしろ見ない方が良いとすら、名前をつけるという分離工程すら要らないんじゃないかと。




しばらく作品の前で瞑想的に佇んだ後、シドさんとお話をさせてもらう。
言葉にならない理解を言葉で伝えるもどかしさ(笑)
シドさんは、やさしい目をしたサンタクロースのようなおじいちゃんだった。
本人から発せられるエナジーを感じていると、次第に言葉が要らなくなっていく。
テレパシーですら言葉を使うのだとしたら、会話を超えたエナジーの対話はそんなテレパシーの領域すら超えている。



最初に言葉ありき。
そんな西洋文化の根幹をあっという間に超えてしまう西洋人がいるのだな。。。


言葉から始まる物質化、顕現化を私達は存在することと捉えている。
そんな理解が、作品の前で進んでいく。


シドさんの作品は、自然の本質と内なる自己の本質の融合という言葉がパンフレットにあったけれど、
まさにこの作品たちから受け取るエナジーは、言葉によって生み出された現象界の先を見せてくれているかのようだった。


現象化の先にあるエナジーの世界がこんなに素晴らしいのだったら、私はもっとプロセスを信頼してもいいんじゃない?
そんな問いかけが、自分に発せられる。
創造の、具現化のプロセスは、自己の歩みの過程は、私が思っているよりずっと信頼に足るものなんじゃないかと思わせてくれた。




アートとは何か、現代絵画、抽象画の観方が、初めて分かったような気がした。



エナジーを扱う者として、必要な理解が最善のタイミングで訪れたのかとも思ってみる。
深い潮流にまた変化が顕れる予兆を受け取ったエキシビションだった。



【アートと瞑想の融合】

言葉にできない、感情の繊細な出来事や現象。
心に触れる、美しい気づき。
わたし達はそのとこを、表現したいし、他者と共有したいと願い、様々な言葉を集める。
だけれでもそれが、言葉にできない
という言葉でしか表現出来ないと降参した時に
間合いや空気がそこに生まれて突如と共有のシンクロ二シティが生まれることがある。
とても忙しいわたし達のマインドを黙らせる、瞑想的クオリティ。
アートと瞑想の融合は
わたし達のマインドを黙らせた後で、もっともイキイキとした生命のフォースとしての、クリエイティビティを彩るマジック。
人生をカラフルに彩ります。
シドマリークラークの絵画、瞑想的クオリティの扉です。

(Unicaさんのエキシビション紹介ページより抜粋)
http://unica.link/


シドさん、友恵さん、ひとみさん、ありがとうございました。


董香@sancutary
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