叡智の時代・カルマフリーに向けて


台風警戒の中、久しぶりの投稿。
今日は夫が休みで家にいるので、セッションは遠隔。
こんな日にお越しいただくのは気が引けてしまうので良かったなと思います。
ここのところ連続する台風接近の日が決まって休みという強運な夫(笑)



アメブロにも載せましたが、サロンの家具が変わってプチリニューアルしました。
白い空間になったらとても軽やか。そしてスッキリしましたね。
8月後半は断捨離、家中のお掃除で過ぎて行き、その集大成がこうなった感じ。
エネルギー調整もやり易くなりました。



白いテーブルで石の写真を撮ってみたらなかなか良いので、今日はそんな写真をアップしながら書いてみようと思います。
こちらは私物にしてしまった地球ソーダライト。 ツーソンショーで一目ぼれして連れ帰って来た一品でした。


書くことが溜って余計にまとまらなくなっているので昨今のお話から。
先日、数秘&占星術のセッションを受けました。
これがね~、凄く面白くて。


まず言ってしまうと、私は哲学者のような思考派の人間だそうです。
ずーっと始終頭の中、自己の内面が忙しく、考えるのを辞めるのは死ぬ時だと(笑)
そのくせ、私という意識の内にはまるでたくさんの人格がいるように、相反する考えを併せ持つのだそう。
だから文体がこう論文チックになってしまうのよね~なんて思ってみたり。


自分がいつも葛藤し、揺れ動くのはそのためかと思いました。
始終一貫した意見を顕して行くことが困難なのですよね。
揺れ動かない、不動の存在的な存在にはなれない。 不安定がデフォルト。
揺れ動いていいんだ~・・・と、目から鱗でした。 



そう言えば、感情の揺らぎについてはチャネリングメッセージとしても受け取っていたんでした。
私達の意識は元は唯一なるもの、全体であるものであり、それは例えてみれば凪の状態。
さざ波すら立たない穏やかな一定した状態で、幸福も不幸も、喜びも悲しみもない光の世界みたいなものだそう。

それが揺らぐこと、波風が立つことで起こるのが感情で、揺らぎ、ブレが起こらなければ私達の意識は何も感じられない。
そして、その揺らいだ状態を観察したり、揺らぎから生じる感覚、意識を観察するために
パーソナリティ、自我が派生して存在するようになったのだそう。


だから本来、私達は既に二重の存在。
相反する対を成す者を内在する存在。



また、揺らぎは、ただの揺らぎです。
それを良い・悪い、高い・低い、善・悪をジャッジするのがパーソナリティ。 
パーソナリティが悪・悪いと判断した揺らぎの記憶は、罪悪感や罪となり、それを私達はカルマと呼ぶ。
カルマとはやり残したことであり、それはパーソナリティのジャッジが下したものであると。



可憐なロードクロサイトのエッグ。


巷で良く言われる、ノージャッジメント。 大天使ミカエルの持つ特性とされますが、
これが今の時代になぜこう強調され、必要とされるのかと言うと、
カルマフリーの時代の到来に必要な概念だからだそう。


ジャッジするから、カルマになるのですね。 
ただただ揺らぎを俯瞰する存在であれば、カルマなど派生しない。


しかしそれは不可能なこと。
なぜなら私達は肉体を持ってこの物質世界に存在し得る存在であり、揺らぎを体験するための器として肉体を持ったのだから。


それでも、俯瞰する存在に近づくことは出来る。
ジャッジメントの枠をほんの少し緩めることでも世界は変わる。
今まで自分を縛って来た善悪の概念、光と闇の概念から自己を解放することが出来れば。
 


カルマから自己を解き放つために必要なのが、このジャッジメントの概念、
そしてそこから生まれた善悪の概念から自己を解き放つことなのだと。



フェアリーのようなドルゥージー状のモンゴル産クォーツ。

わざわざジャッジの振り分けによってカルマを生み出して来た私達。
書いているうちにカルマとはグラマーで、カルマのある世界とはイリュージョンなのだろうと思いました。
地球を覆うグラマー、イリュージョンから脱却するためにカルマフリーの世界を目指すのだろうと。
一人ひとりがそんな自己を縛って来た幻惑のカルマを抜け出すことで、地球全体を覆うヴェールが剥がされるのですね。




占星術と数秘の話に戻りますが、
私は自分の望み、本心、欲求を抑圧して理想を追っても、エネルギーが動かないそうです。
本心から望むことを表に出して行くことと、それを抑圧する自己を過小評価する癖や、
勝手に作っていたマイルールから自己を解放すること、悩みを捏造し易いことを認識しておくと良いのだそう。


あぁ、これってグラマーだわって思いました。
わざわざグラマーから自分を脱却させるという過程を経るために、私はこんな星回りを設定して
今世を生きようとして来たのだと。

まるで葛藤を楽しむ設定をして来ているかのように、人生で目指す目標、到達したい境地と、
そこへ向けて強烈に足を引っ張る劣等感や自責癖とを併せ持っているのです。


呆れるくらい(笑)



私がよく何か一つ突き抜けたと感じる時に思い描くのが、グルグルと渦巻く足元の泥沼から足をスポッと引っこ抜くビジョン。 
泥から蓮根を抜くみたいで、それって、葛藤から抜け出る様をよく顕しているなぁと(笑)


蓮の花が古今東西どこでも神聖なるものとして描かれるのは、そんなグラマーの泥沼から抜き出て
美しく花を開かせる境地、涅槃を顕すのかも知れない。。。 なんて思いました。




エレスチャルクォーツポイントは、不動の存在。


でも、そんなふり幅の大きさがヒーラー、カウンセラーとしての力量に繋がるとも仰っていただいて。
こういう考え方もある、こういう視点もあると、とっちらかった自分から生まれることを表現することで
安心する人もいると教えていただき、これも目から鱗。


これしかないという一点張りの視点では逃げ場がないと。  
両親の教育方針が揃っていると却って子供は逃げ場がないからキツイ。
双方相反するくらいのふり幅がある方が子供は安心できるというお話も。


なるほど。


そして、そんな葛藤、ブレの辛さ、大変さを乗り越えて来た人の方がヒーラーとしては魅力的。
人の成長を見守る生まれながらの癒し手なので、この意義ある星回りと数秘の設定を活かすことを考えましょうと
仰っていただいたのでした。



ラブラドライトの輝きは宇宙の煌めき。



そんな堅苦しい話ばかりじゃなくって、かなり変態だとか、恋愛も一般的じゃないだとか、
お金と性の欲求を否定するとイジケるのでヤメましょうとか、子供っぽい無邪気さや自由
さを活かして、
自分にしか出来ないこと、これは私じゃなきゃ出来ないでしょうということを極めて行く人生らしいデス。


どんなヒーラーなんだか(笑)
石と会話する、クリスタルの声を聞くってだけでも、世間から見たらかなり変態かもですけどね。。。



それでもね、
自分をこうして自分で創りあげて来た幻想、捏造して来た悩みから脱却させることで、
他の人にもそれを見せられるのだとしたら。

自分の生き様そのものが他者を癒せるような人になって行けるのなら、私はその道を選びたい。
自分が苦しんだり悲しんだりする中、そこを抜け出す過程を経ることがカルマフリーの世界を実現させることになるんだとしたら、そんな生き方を選びたい。


パワーや能力、テクニックとしてのヒーラーではなくて、
生き方そのもの、存在することで他者を癒せる存在でありたいと、思ったのでした。


そして、それには自分を生きるしかないのですよね。
そいうワケで、今リリースしたばかりの新しいワークはそんな自己を生きるためのワークになっているのだろうと思った次第。

次回は、受けて下さった方からのご感想を披露したいと思います。



今世が地球最後という方が最近本当に多いですよね。
だからこそグラマーからの脱却とカルマフリーの実現を急かされ始めているのでしょうね。


ではでは。 
台風が穏やかに過ぎますように。




董香@sancutary
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