早春賦


早春の長野へ帰省して来ました。

 
 
お彼岸ですから、家族の顔を見てお墓参りをして、甥っ子たちと遊んで。
 
前回、秋に帰省した後の地元では、天皇皇后両陛下のご行啓があったそうでした。
 
「あれ?言わなかったっけ~? 」 と母。  聞いてないし!
 
戦後の満州開拓民の苦労を偲ぶ記念館をご訪問されて、地元の温泉旅館にお泊りになったそうで、
父と母もお出迎えに並んで、実際にお会いすることが出来てとても感激したと。
 
 
ヨカッタね。 
 
 
それにしても、ご高齢の陛下がこんな田舎の小さな記念館までお越しになられて、
経験者の苦労話に耳を傾けんとするって、本当に凄いことだなと改めて感じ入りました。
あの戦争の爪痕を、生涯をかけて慰労していらっしゃるとは。
 
 
そんな思いから始まった今回の帰省は、母と珍しくランチに出かけたり。
 
 
 
今年もまたホーリーバジルの種を蒔いて、小松菜を収穫したり。 
 
早春の風はまだまだ冷たかったけど、土は温かいんです。
土に触れていると寒さを感じない。
 
もう、畑が忙しくなる時期なんだなぁと。 
種を蒔いたり、苗を植えたり、枯れ草を払ったりと忙しい。
 
 
 
 
土に触れていると思うことは多々あって、人間が霊性と物質的意識を切り離されてしまったのと、
人の生活が土から切り離されてしまったのはとてもリンクする気がしました。 
 
大地に触れることはそのまま、その土地に染み込んだ祖先の意識や精霊たちの意識とダイレクトに繋がることです。
 
空気も、風も、水も、その土地を、大地を育んでいるエッセンスそのものと一体化する感覚です。
これは、とてもレムリア的だなぁと感じます。
 
 
勿論、そうやって生きていたって人間ならではの苦労や困難、悲しみや葛藤はあります。
それでも、何かが起こった時、大きな判断を余儀なくされる時、バックボーンとなる思考や価値観に、
大きく土壌の意識が反映されるのではないかと思いますし、
アニミズム的思考、祖先や精霊たちと自分の生活が一体であるという意識が当然のこととして、
当たり前の価値観としてそこにはあるのです。
 
 
 
 
 
林の中にある鎮守様にもご挨拶とお礼参りをして来ました。
父が手を7針も縫う大怪我をして救急車で運ばれる騒ぎを起こしていたそうで、
幸いなことに神経には支障がなく済んだと聞いて、お礼に出向きました。
 
近所では騒ぎになって、指を落とさなくてよかったと言われて初めて、母もハッとしたそうで。
もう、後になって聞くだけでも背筋が寒くなります・・・。
 
「護ってもらってたんだわ~ 」 と、母。  
 
 
そんな話を聞いたら、こんな仕事をしている娘は鎮守様に出向きますよ・・・。
改めて見ると鎮守様は、お諏訪様、お不動様、金毘羅様と、私が深く縁のある御方々ばかりでした。
 
 

 
 
短い滞在だったけれど静かな静かな時を過していると、もう田舎に引っ込みたくなりました(笑)。
 
 
 
 
温泉で見かけた旗。
星空日本一に認定されたらしいですね。  
 
 
澄んだ空気と水、大地で採れた野菜と食卓の距離がとても近い生活。
それらは全て、私を育んでくれたエッセンスとして今も私の内に息づいています。
 
 
自然の意識たちの中に埋没したような感覚のまま都会へ帰って来ました。
 
 
 
帰りに見た諏訪湖はもう春の気配でしたね。
そういえば、春分の諏訪湖で色々やったこともあったな・・・。
 
 
春分早春譜。
卵の中に入り直したような、再び産まれ直すような時間でした。
お留守番していたケケのご機嫌をとりながら、明日に向けて準備しますね。
 
 
 
 
菫香@Sanctuary
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