魂と芸術 ・・・ミュシャ展・・・




「 ミュシャ展、行かない? 」
 
友人Yちゃんからのお誘いで、六本木へと出かけて来ました。
 
アルフォンス・ミュシャと言えば、パリのあちこちで見かけたアール・ヌーヴォー様式。
それくらいにしか思っていませんでしたが、今回の展示はそこがメインではありませんでした。
 
 
展示のメインは、ミュシャ晩年の大作 スラヴ叙事詩。
今回初めて知りましたが、その第一印象は   ” 大きい・・・ ”
 
なんと大きく壮大な、そして幻影的な・・・
これが20点もあって、しかもチェコ国外での展示は世界初だとのこと。
 
 
「 もう二度と来ないだろうし、見られないと思うから。」
というYちゃんのお誘いがなければ、知らずに済んでしまっていたことでしょう。
 
 
勤勉なYちゃんとのお出かけですので、ミュシャの美しく壮麗な世界しか知らなかった私も
少しばかり予習します。
 
 
パリでその才能が偶然にも大女優の目に留まり、一躍有名画家としての成功を収めたミュシャ。
パリの売れっ子画家となった彼のもとには様々に仕事の依頼が舞い込むようになり、
1900年に行われたパリ万博では故郷ボスニアヘルツェゴビナ館の装飾を手掛けます。
 
そのための取材旅行で各地を巡ったことがきっかけになり、
スラヴ民族の受難と苦悩の歴史の一大叙事詩を生涯の仕事とすることにしたとのこと。


 
・・・・・ ミュシャ展 スラヴ叙事詩サイトより ・・・・・ 
 
1911年、ムハ(ミュシャ)はプラハ近郊のズビロフ城にアトリエを借り、
晩年の約16年間を捧げた壮大なプロジェクト《スラヴ叙事詩》に取り組みます。
故郷を愛し、人道主義者でもあった彼は、自由と独立を求める闘いを続ける中で、
スラヴ諸国の国民をひとつにするため、チェコとスラヴ民族の歴史から主題を得た
                   壮大な絵画の連作を創作したのです。                                                
                                            
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簡単な予習と作品を数点、ウェブでチェックしただけでしたが、
私にはこの彼の姿勢と言うか、その在り方、そしてスラヴ叙事詩とされる絵画に、
何か神智学的な気配が潜んでいるように感じていました。


民族の団結と博愛精神、ですね。
民族のと言うところを人類全体のと置き換えられる表現が多くて、
人類全体の悲しみを哀れみ、可能性や希望を唄う作品が、とても神智学っぽいなぁという印象がありました。

まぁ、でも、私のこじつけに過ぎないのかも・・・と軽く流して。




当日はとても暑くて良いお天気でした。
ミュシャ展は、平日でもそこそこ混んでいました。


最初の作品が上に挙げたポスターの、【 原故郷のスラヴ民族 】
http://www.mucha2017.jp/slav/intro.html#link 

美しい青に輝く星の下で、異民族の襲撃に怯えるスラヴ人と、
宙に浮かび上がるスラヴの司祭。


大きさも凄い迫力。
あっという間に引き込まれます。


全ての作品がとてもとても緻密に構成されていて、描写の素晴らしいこと。
その画力、表現力は本当に圧巻で。


その画力を持って表現されるスラヴ民族の歴史は、
日本という島国で他国の侵略を知らない私達にも十分に伝わるものがあります。

特に印象が強かったのが、民族の自由と言語です。
言語を護ることと民族の精神を護ることはほぼ同じことなのですね。


そして教育、知識の頒布の重要性。
人間が基本として持つ人権や自由は、文盲では知ることが出来ないのだと。
自由とは何かは、私達が知識として知らなければ達成できないのですね。


それにしてもヨーロッパ文明は、バチカン・カトリックの名の下に
どれだけの支配、侵略を重ねて来たことか。
それも精神の侵略です。



部屋を進むと、写真撮影が許可されている展示室がありました。


大きいのでスマホのカメラに納まりきれませんが、一つの作品です。


あ、これ好きだなと思いました。
【 イヴァンチツェの兄弟団学校 】 というタイトルです。

・・・・・・・・・ ミュシャ展サイトより ・・・・・・・・・

画家の故郷モラヴィア地方イヴァンチツェでは、
領主ジェロティーン公により最初のモラヴィア兄弟団が設立され、
クラリツェ聖書が翻訳、印刷された。
少年が聖書を盲人の老父に読み聞かせる様子が描かれている。

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秋の穏やかな情景と、印刷された聖書の一面を配ったり読んだりする人々。
この庭の風景が、とてもいい。

盲目の老人に聖書を読み聞かせる青年は作者自身の姿だそうですが、
知というものを人間にインストールするハイラーキーの姿を模しているかのようです。


そして聖書の普及に大きく活躍したのはこの印刷技術で。
つまり、人間は知がなければ、そして愛がなければただの動物的な生体に過ぎないのだろうと。
この庭の様子は人類という兄弟が、地上で知と愛を実践する場そのものに見えます。

全ての作品においてキリスト教は大きなテーマになってはいるものの、
キリストや十字架、そしてよく見る翼のある天使象などは一斉出て来ません。
そこにあるのはプロテスタント的と言うか、宗教を通じた人間の精神性で、
それと民族の精神とが絶妙に絡み合っているのですね。


民族の聖地では天使も写実的ですし、マリア様もスラヴ民族の女性に見えます。


神を外に求めない精神の姿。
私はここに至ってやはりミュシャは、神智学的要素を分かっていると直観していました。
民族と言いながら人類全体のテーマを描く様子には、シュタイナー的な要素も感じます。



もう一つ、印象的だったのが 【 ロシアの農奴制廃止 】 でした。
写真に撮らなかったんですけど、モスクワの赤の広場で、ロシアの農奴制が廃止された勅令を
聞く人々が描かれていました。


それは、”人々が「自由」を獲得した場面が描かれている。” ということなのですが、
その自由を得た人々は途方にくれ、何が起きたのか全く分からないと言った様子なのですね。


そこからは、
”  明日からどうやって食べて行けばいいの? ” という声が聞こえて来そうでした。

Yちゃんが言いました。
「  上からの自由ってダメだよね。 」


そうだよね・・・

絵の中の彼らは、自由ってなに? とでも言いたげな様子です。
自由とは、人間を人間足ら占める内から湧き上がる渇望なのだと身に染みます。



そして最後の展示は、その自由を獲得したスラヴ民族の栄光で締めくくられていました。


自由と平和と団結。

人類の、永遠のテーマ。


侵略と征服。
苦悩の中から立ち上がり独立を勝ち取ろうとする民族の様子は、
人類が愛と平和の世界を創造する過程そのものに置き換えられるのです。
私がミュシャの根底にある思想に神智学的要素を感じると言うと、Yちゃんが言いました。

「 人類の霊的進化の過程をよく顕していたよね。」

本当にそうだと思います。


スラヴ叙事詩にとりかかる直前に製作されたというアメリカでの作品、ハーモニーの説明には、
うろ覚えですがこんな記述がありました。

” 人間が愛と理性を調和させるのは知性によってである ”

Yちゃんも私も、もうこれを神智学の思想なくして何と解釈したら良いのかと(笑)

こちらもサイズ的には十分に大作なのですが、
スラヴ叙事詩の後だと普通に見えてしまいます(笑)

 展示では勿論、美しいアール・ヌーヴォーの作品も堪能できました。


 
最後はミュシャの生涯をまとめたビデオコーナーです。
パリで大女優、サラ・ベルナールに気に入られてスター画家となって、
だからこそ、故郷へ錦を飾る大仕事を担うことが出来たこと、
そして、50歳を過ぎて、残りの人生を民族のために捧げると誓ったこと。
それらがよく分かりました。


それは、ミュシャがスラヴ民族全体への貢献と言う魂の使命、
天命に目覚めて行く過程そのものなのでした。


もう、何でしょう、この出来すぎたお膳立て! 
まるでハイラーキーの目論見通りではありませんか! 


ミュシャの魂とは、時代を担う芸術、
人類の霊的進化成長を促すための美を顕すこと、
そんな仕事を、霊的なお仕事を、することになっていた魂なのだろうと。





光溢れる国立新美術館のロビー。


思いもよらなかった充実した展示会でした。


その夜、Yちゃんは早速調べてくれたみたいです。
何と、と言うか、やはりミュシャはパリで神智学的な思想を極めるため
フリーメイソンに入団していたと! 


そしてシュタイナーとミュシャは同い年で、出身も地域こそ違いますがチェコスロバキアと、
同胞と言っても良い間柄だったのです。


やっぱりそうかー・・・! 


・・・・・・・・・挿絵本 「主の祈りのご紹介」 より ・・・・・・・・・・

 得体のしれない怪しいイメージが先行しているフリーメイソンですが、
基本理念は"一つの宗教教義に縛られずに、兄弟愛、救済、真理を探求する世俗の友愛団体"
 であること。 フリーメイソンを通して得た人脈や交流は、
ミュシャ後半の人生に決定的な変化をもたらしました。


こちらの画商さんのサイトにある主の祈りの解説は秀逸です。


https://www.atelier-blanca.com/2016/07/12/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E6%8C%BF%E7%94%BB%E6%9C%AC-%E4%B8%BB%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A-%E3%81%AE%E3%81%94%E7%B4%B9%E4%BB%8B/

「天におられる私たちの父よ」

よどんだ状況にある者が、少しずつ目覚めていき、ようやく自分のいる位置を認識する。
理想に向かって上昇するためには、進むべき道を定め、精神を解放し、
肉体がとどまる暗黒の領域を離れなければならない。
 
向上心のある者は、遠くにかすかに見えるこの光に向かい、同志と共に徐々に近づいていく。
この者は、皆が自分の兄弟で、一つの家族の息子であり、同じ未来に向かっていることを知っている。
溢れ出た愛情が、皆を照らすこの光をこう名付ける。
 
<天におられる私たちの父> 


・・・・・・・・・ 抜粋以上 ・・・・・・・・・


この思想が民族の解放と自由へと繋がっていて、
スラヴ叙事詩を貫く思想として、根底に流れているのだなぁと感じました。

だから、スラヴ民族に限らず人類全体に通じる普遍性を持つ作品として、
私達にも訴えかけて来る。


本当に、いい機会をいただきました。Yちゃんに感謝。



この展示、次は中国へ行くそうです。
中国人にはスラヴ民族の勝ち取った自由はどのように映るのか、興味深いですね。


そして、私達日本人も。
今の自由を、人権を、湯水のごとく空気の如く謳歌しているワケですが・・・。


アリス・ベイリーが書かれて、シュタイナーやミュシャが活躍した時代から100年余。
人類は少しは進化したのでしょうか。


少しは成長した・・・と思いたいですね。

でなければ、また強いメッセージを発する一人の指導者が顕れるでしょうし、
それがないということは、一人一人が自らの足で立ち、頭で考え、ハートで感じて
進む時代がやってきていると思って良いのだろうと。


だから、今からミュシャやシュタイナーのような巨星が顕れることはないだろうと
私は考えます。


もう既に、メッセージは充分に発せられている。
あとは今を生きる私達がそれらをどう生かして現実を創造して行くかだと思います。




ミュシャ展の美しいお土産たち。


色違いで全色買い込んでしまった栞は、アリス・ベイリーを読むのに使おう。




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