旅の記憶 ~ アルザスの道・光への道 ~


梅雨はどこへ? と言った夏日が続いていますね。 湿度が高い。


旅はつくづく、帰国後が勝負だと感じています。
体調も、気持ちも、エネルギーも、そして現実も変化するのでそこをどう乗り切ってどこへ着地するか。
なかなか難しいものです・・・。


さて、旅行記は、先に田舎やミネラルショーのことを書いてしまったので、
今日はパリからストラスブールへ向かう道中、そしてアルザスでの気づきを。



バラとサクレ・クール寺院 
 
 
それは、パリ到着の翌朝、パリ東駅からストラルブールへ向かう列車の中でのことでした。
これから初めての場所で初めてのミネラルショーでの買い付けを控えて、私はとっても緊張していたのですね。
 
電車の乗り方一つでさえ初めての経験で、一つ一つ、知らないことをクリアして行くのが今回の旅でしたが、
このミネラルショーで本当に、皆さんからのオーダーを受けた石達を無事に仕入れることが出来るのか? 
 
 
考え始めると不安はどんどん募ります。
 
 
 
 パリ東駅 
 
 
じゃあ何でこんなこと募集しちゃったのか? と言えばそれはもう、やるしかないと思ったから。
それは自分へのチャレンジであり、自分にしか出来ないことをしたいという思いでもあり、
 
 
こんな弱小業者の私なんかよりもずっとずっと購買力のある業者がたくさん現地入りする中、
私があえてここまで出向いてやること、ここで出来ることと言ったら? と考えた結果です。
 
 

 



パリ発の列車はバカンス気分高め。
 
 
車中で、瞑想に入って不安を一掃します。
 
やろうと思ったと言うことは、出来るってことだ。
そして不安を覚えるのは私の小さなエゴに外ならないのであって、
今回のミッションは私の弱小エゴを超越したものによって動くのだと。 
 
 
エゴの小ささが、いかに個人の行動を制限し狭めているのかを感じていると、
とても大いなる意思と一つになれる感覚がやって来ました。
 
 
 
 
その感覚から降りて来る理解を言葉にすると、私という個人の意識とは云わば、大いなる意思から
地上に降ろされた地上部隊、エージェントのようなものであって、
その個人的思考、肉体、意識を使って地上での物理的なミッションを遂行するのは努めなのですね。
 
だから、地上での幸せだの金銭的なことだの、いわゆる棚ぼた的な ”ラッキーなこと” を天使や様々な存在に求める方々がいますが、それは全く当てが外れたことで。
 
 
地上で努力したり苦労したり、考えたり、動いたりするのは、私達肉体を纏ったスピリットの”役割”なのです。
そうやって、大いなる意思のエネルギーを地上へ降ろす、根付かせるために働くのが務めなのだと。
 
 
ヨーロッパの鉄道チケットを予約する、現地で発券する、乗り場と時刻を確認してその時間までにトイレを探すだの、
ランチはどうするだの、一つ一つ、神経と体力を使うことばかりの中で、
こうやってミッションを遂行するのは、私という肉体人間としてここにいる意識が司る役割なのだと。
 
 
それはまるで、私と言う小さな個人的存在のエゴが消滅して、大いなる意思へとハートのエネルギーが全放射されるような感覚でした。
私という存在の全てが個人的な欲求や在り方を超越した意思の働きと調和し、
その大いなる意思、存在が地球へと向ける愛を地上で体現するために自分があるのだと思えた瞬間です。
 
 
これが、奉仕なのだと。
 
 
 
ストラスブール到着。 暑い。
 
 

あぁ、私達は本当に奉仕というものを誤解しているなと感じました。
日本語には滅私奉公という言葉があるので、どうもそのニュアンスが先走るのかも知れません。
 
 
奉仕とは、自分を殺して我慢して捧げるものではないのです。
歓びと共にあるのが本当の奉仕で、入り口は、人それぞれみんな違うのです。
そしてそんな奉仕はエゴの小さな我欲を超越します。
 
 
だからきっと、エゴを満たしたい段階にいるうちはそれを思う存分満たせば良いのです。
その先に広がる世界を知覚し、それと共にありたいと願った先にやって来る歓びの世界があるのです。
 
 
奉仕の先にあるのは更なる奉仕という言葉が、アリス・ベイリーの著書にあったかと思いますが、
その意味を私は完全に誤解していました。
 
 
 
 
肉体的制限の中でいかに大いなる意思を体現するかを実践するのであれば、
現実的に苦労し、悩み、苦しみ努力するのは当然のことです。
しかしその先にやって来るのは更なる歓びなのです。
 
 
 
 
 
ストラスブール大聖堂。写真に納まりきらないスケール感。

 
 
この時ふと、スピリチュアルな世界の仕事をしている方の中には、そんなエゴセルフの満足を求めている人と、
より大いなる意思と一体となって働いている人が入り混じっているなと思いました。
 
 
どちらが良いではないのでしょう。
自分の魂が、どのレベルをこの人生で成し遂げたいと望んでいるかに沿っていればよいだけのことで。
そして私の魂はきっと、エゴを超越した先にある世界を見たかったのだと。
 
 
 
 
 
しかし、奉仕の歓びを理解していない人が奉仕を説くのは更なる誤解を生みます。
つまらない、旧来の求道的な道だと思われてしまっては・・・。
 
 
 
奉仕に至る道。そして奉仕の道。
 
 
私はそこに、自分自身を幸せにすることも含まれていると感じていました。
だってこうして、フランスまでの道のりを来ること、そしてこの先愛するクリスタルを皆様に届けることが私の奉仕であるのなら、それは私自身もとても幸せなことです。
 
 
 
猛暑でも花が絶えないストラスブールの街並み
 
 

個人的な自我、小我の欲求、満足を求めることを否定することはないのだと思います。
その先に大いなる真我の世界へと続く道はそこからしか開けない。
 
そして自分の意識が自我を超越した先へと歩み始める過程はやはり、現実的、物理的にも
今迄経験したことのない世界へ足を運んだり、新たな挑戦をしたり、そこで苦労したりすることでしか開けないのでしょう。
 
 
 

地上部隊のエージェントは足を使うのです(笑)   
頭で考えていても、誰かの講座に通っていても、動かなかったら始まらない。 
私はそう思います。
 
 
いや、足だけじゃないですね。
心、身体、魂、つまり全身全霊を使うのです。
 
 
 
アルザスの白ワインは絶品! 洋ナシとチーズ、クルミのサラダも大好物♡
 
 
だから、ちゃんと美味しいものもいただきますし、美しい街並みも堪能します(笑)
全身全霊を使って歓びを得て体現して生きて行きることとで、地上への愛、高次元の愛を根付かせる。
それがそのまま奉仕です。
 
 
 
 
列車の中で降りて来た理解から、暑さにフラフラになりながらの観光中、私はずっとこんなことを考えていました。
 
 
 
 
そしてこの後、私達は行く先々でたくさんの人の助けを受けられることになるのです。
勿論それも見えない存在、エネルギーが動いての結果だったとも考えられるのですが、
物理的に、現実的にたくさんの人に支えられる、助けられる、そして自分の欲求、要望をちゃんと伝える(しかも英語!) という経験をしていると、
本当に旅というものが人生を凝縮した”道の歩き方”そのものに思えてなりません。
 
 
旅の途中、友人からもラインでこんな言葉をもらいました。
 
” まさに高次元のエネルギーのクリスタルを運ぶために、物理的、現実面のことを自分で努力して
苦労してちゃんとやらされてるね。
そして他人の親切心に助けられて、協力して成し遂げて行く。
旅は人生を凝縮してるね!”
 
 
暑さと石の重さ、慣れない土地でトイレや食料に在り付くことにすら右往左往して、精神的にもヘロヘロな中、
この言葉はとても嬉しかったです。 本当に、そうだったのですから(笑)
 
 
帰国してから、アリス・ベイリーにあった道の規定を読み返しました。
どのようなものかだけご紹介したいので、列挙します。
 
 
1・道は、知りそして導く方々によって投げかけられる日の満ち溢れた光のもとで歩まれる。
  そこでは何も隠すことは出来ず、曲がり角ごとに人は自分自身に直面しなければならない。
 
 
2・道において、隠されていたものが明らかになる。各々が各々の悪事を見、そして知る。
 しかし、このような偉大なる啓示がなされたことによって、道を引き返すことも、お互いを追い払うことも、
 動揺することも出来なくなる。道は白日のもとへと続いて行く。
 
 
3・道において人は独りでさまようことはない。焦る必要もなく急ぐ必要もないが、無駄にすべき時間もない。
 これを知り、巡礼者は前方への足取りを速め、仲間に囲まれている自分に気づく。
 ある人々は前方を歩んでおり、彼はその後に従う。
 そして、ある人々は後方を歩んでおり、彼は彼らを指導する。 道は独りで旅するのではない。
 
 
4・三つのことを巡礼者はしてはならない。
 ・他の人々から自分の顔を隠すベールになるフードを被ること
 ・自分の必要を満たす量しか入らない水瓶を携えること
 ・物を掛けるく鉤のついていない杖を担ぐこと
 
 
5・道の巡礼者は各々、自分に必要なものを自ら携えなければならない。 仲間を暖める火鉢、
 自分のハートに光を投げかけ、
 自らの隠れた人生の性質を仲間に示すランプ、道にまき散らすことなく他の人々と分かち合う金の財布、
 門で待ち迎える方の足下に捧げる彼のすべての熱誠がこめられ封印された瓶。
 
 
6・巡礼者は道を歩むとき、開かれた耳、与える手、沈黙を守る舌、鍛えられたハート、金色の声、
 迅速な足、
 そして光を見る開かれた目がなければならない。
 彼は自分が独りで旅しているのではないことを知っている。
 
 
 
勿論私がこんな高尚なことが出来ているだなんて思っているワケではありません(笑)
しかし今回のこの旅の過程は、この規定に少し触れられたものだったように感じています。
 
 
道という魂の旅はこの先もずっと続きます。
 
 
 
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