カルマを背負う魂 ・・・国と時代・・・ 


写真は昨日の夕暮れです。
サロンバルコニーから見えるタワーに三日月がちょうど乗っているように見えて可愛かった。



台風一過の夕暮れ、キレイでしたね。


選挙から一夜明けて、この日はとても暑くなって。
私はエネルギーに翻弄されてしまって何だかおかしな日でした。


前回の記事にした旧知の方の訃報から、
私は何だか、人間って一体何なんだろう? 生きるって一体何なんだろう? と、考え込んでしまっていました。


この世に生を受けた瞬間から死に向かって生きる私達。


だったらなぜ、前向きにポジティブに、進化成長しようと、前に進もうと考えるのだろうか・・・。


なんて思っていました。


しかしそうやって物思いに沈んだ私の身体は、一日であっという間に悲鳴を上げます。
夕方には腰が痛くて痛くてたまらなくなりました。 
哀しみによるストレスですね。


そして思いました。
人の肉体はやっぱり、ポジティブな精神が必要なのだと。
死に向かって生きるからと言って希望や想いを捨てたのでは、どうやら身体の構造、
人間の仕組み的には間違っているのですね。


死に向かいつつも向上、進化、成長を目指し、
歓びと共に生きるのが人間の仕組みのようです。
これは、ちょっと面白い発見でした。


歓び。
これは、魂の歓びでしょう。


死があるからこそ生が生きる。なんて言われるけれど。
私にはまだ文字面での理解でしかなくて、腹の底から納得できてはいないかな。


転生も、魂の永続性も、たくさんのセッションや自分の瞑想体験から理解はしているけれど、
いざ目の前にいた人が肉体を去ると、やっぱり動揺します。



この日のもうちょっと前の時間。 次第に三日月がタワーに近づいて行きました。



そんな感じでKさんの訃報に数日は悲しみに沈んでいたのですが、
ある時ふと気がつきました。
悲しみを悲しんで、悲しみ切ることで私は元気を得ていたのです。


哀しみの奥、そこには、永遠の愛があることに気が付いたのです。 
彼が去った後の空白に愛があり、それは決して消えたり無くなったりしないのです。
そして闇ですら、愛であると。 


人は、魂は永遠の愛に還るのだと。


そう思った途端、私はKさんに心の中でお別れをすることが出来ました。
逆に元気をもらったか、Kさん自身のエネルギーを受け取ったかのようにも思います。



それから週末の選挙に突入して。
私は初めての、新宿であった街頭演説会に足を運びました。
その場の熱気、高揚感、前進するパワーは、生きるエネルギーそのもの。
これからの日本ををより良くしたいと言うエネルギーは、生の在り方として真っ当なものだなと感じ入って。


選挙結果に関しては何とも言えませんが、ようやく国民を主権とする本当の民主主義の
種が芽吹き始めたのを感じつつ、そしてより痛烈に思ったことは、
これから私達は自分がどう生きたいのか、どう在りたいのか、
そのためにどんな社会を、国を、世界を創って行きたいのか、
それら、自らの人生と国の政治の在り方が直結する時代が始まったのだということです。


自分にとって一番大事なことは何なのか? それを、各自が自らに問いかけて、
そのために生きる時代が始まっているのですね。
そして、そんな自己の尊厳を生きる民のために政治があるのが本来の民主主義でしょう。


私にとって今一番大事に思うのは、愛と自由と自己信頼。 
このエネルギーの循環によって、生を全うすること。
私という生を生き切ることです。 


これは恐らく、パーソナリティの完全性を目指す旅です。
この生において、余すところなく私というパーソナリティを生き切ることを
私はやりたいのですね。


個の完全形を、この生において全うしたいんですね。


そうしておけばカルマの解消のための転生というパターンは完全に脱却します。
そうなった次の転生の可能性や、選択肢は、きっと大きく広がるでしょう(笑)
故郷に還るも由、新天地を目指すも由。


そういう意味で言えば、日本人はまだまだ個のパーソナリティの力が弱いのだと思います。
そして、そこを鍛えるために何度もこうして政治的な試練が、これからも訪れるのだろうと思われました。


分かり易く言えば第3チャクラの在り方ですね。


個の自立と自我の健全な確立。 
そのために幾度も、自分がどうしたいのか? を試される時が訪れていて、
それがもう国民全体の課題、カルマとして顕在化したのだろうと思われました。


もっと言ってしまえば、アトランティスのカルマを日本人の集合意識全体で
取り組まなければならない時が来ているのだと思った次第です。


戦争の可能性と言論統制、そして核の課題。
これらは恐らくアトランティスのカルマであり、パーソナリティの不完全さが齎した暴走です。


だからきっと、この国は国を挙げてここに取り組まなければならないのだろうと。
個人の尊厳を個人が健全に育み、他者を同じように尊重する社会へと舵を切らなければ、
何度となく同じ試練が来るのだろうと思います。



生きることとは何か? を、個の確立と共に問いかけて行くのです。
そして自分なりの答えと自分の在り方は、自分で見つけるしかないのです。


時代はそこまで来ている、と私は思いますし、そう生きたいと思っています。



Kさんのように、先に旅だった魂はこんなことやらないで済んだのかな・・・。
でも幸か不幸か、私達はまだこの現象界に存在しています。




月は占星術では肉体を指すことも。



肉体を離れることがこの世から去ることだと言うのも、何だか不思議な気がしますけど、
魂が撤退を決めるまで、肉体に留まっているうちは懸命に生きるしかないですね。


そしてそれを、歓びと共に。
肉体には歓びが必要だというのは明白です。



と、つらつらと書いてみて、とても蠍座太陽木星時間ならではのテーマだなぁと思いました。
何だか日本という集合意識に深くダイブしたような気がしています。
暫くはここが、仕事でも自分の在り方においてもテーマとなって来るのでしょう。


そんなことを感じながら今日のセッションにお越しいただいた方と終わってからお話をしていて、
私たちが今でも抱えている制限や自己不信を越えて、本来の愛のエネルギーである銀河意識で地上を生きることが
これからの地上を生きる私たちの一つの方向性だろうと思っていることをお伝えしていました。

そのために銀河の学校を創ったんですけど、私の目指す個の完成形って、これなのですね。
地上の概念や制限に囚われずに、魂の歩みを顕現させる人生です。


そんな人が増えたら、人は自らの愛と尊厳に基づいて行動し、人生を歩めるでしょう。
そんな人々の政治は真の民主主義になっていく。


絵空事かも知れませんが、私は日本全体の集合意識にそんな働きかけをして行きたい。
ワークやセッション、活動を通じて、根底に流れる思想はこういうものだろうと感じます。


おひとりおひとりの小さな思い込みや概念のスイッチを切り替える。
そんな積み重ねが、全体へ及ぶことを願ってやみません。





菫香
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