祈りの日


一日遅れましたが、3.11を今年も迎えて改めて思いを綴りたいと思います。

 
黙祷の日に。
 
 
 
どれだけ歳月が流れても、あまりに強烈に思い出されてしまうこともあるのだなと思います。
黙祷の瞬間にまざまざと思い出されるあの瞬間と混乱、その後に続いた衝撃的な事象の数々。
 
 
あの日を境に、この国は変わってしまいました。
東北という地方はもう被災地と言う視方になってしまったし、福島と言うと原発事故は必ずと言ってよいくらいセットになってしまった。
 
 
壊されてしまったもの、亡くしてしまった命。
 
 
何年経とうとも、それは戻って来ないものなのだと。
 
 
 
何度も書いていますが、私がこの世界に入ったのも震災がきっかけでした。
あまりに大きな事象、国の在り方そのものが変質するほどの事象だと、自分にはそう思われたのですが、
社会も、勤務していた会社も、何だか少しでも、なかったことにして今迄通りに戻そう、戻ろうとする
そのベクトルが、途方もない違和感になってしまったのでした。
 
人の心や思いというものに根差した生き方や在り方、社会システムを作り直す格好の機会になったはずなのに、
いつの間にか原発は再稼働の方向へ向かい、復興の支援よりもオリンピックが掲げられ、
被災地の復興は、言葉が悪いのですが助成金に集るビジネスのようにも感じられます。
 
 
どうして、こうなっちゃうのかなぁ・・・と思うことが、この7年続いて来ました。
 
 
災害当日からの数日の間に起こった出来事、人の在り方は、一生忘れられないものになると思います。
 
今でも強烈に覚えているのは、当時私が勤めていた会社には仙台支店があり、皆大変な思いをしていた最中に、
冗談だとは言え、電話口で彼らに向かって、 ” 東京は水が手に入らなくて大変なんだよ。給水車から汲んでそっちから送ってくんない?? ” などと軽口を叩く声が飛び込んで来たこと。
 
 
私はこの一言が聞こえたから会社を辞める決意をしたと言っても良いくらいでした。
冗談を言って気持ちを軽くしようとしてかけた言葉だったのかも知れませんが、
こう言った人の神経を逆なでするような人間性、精神性の人達と同じ時間と場を共有していることに耐えられなくなったのでした。
 
 
数か月で会社を辞めて、その冬に一度、仙台へ遊びに行きました。
仙台支店の皆さんは私にいつもとても良くして下さっていて、仙台へ出張に行くたびに牛タンやお鮨をご馳走して下さった方達です。
 
その時も皆、会社を離れた私を喜んで迎えて下さいました。
そして初めて震災当日の苦労を語ってくれました。
 
雪が舞う寒い中、ビルが倒壊しかねない状況で外へ出て震えていたこと。
制服の女性スタッフが寒そうにしているので、自分のジャケットをかけてあげた営業の方。
家も損壊し、自宅へ戻れなくなった営業部長はそんな大変な状況の中でも仕事を切らせまいと頑張っていらっしゃった。
 
 
身内や親せきが津波の犠牲になったりする中、普通の状況ではないのに、
本社からは売上、業績を突き付けられて。
そんな状況なのに東京本社の方からは仙台営業をこの際閉鎖するという話が
彼らの耳に入ってしまっていたそうでした。
 
 
こんな時に支援、援助が出来なくて、なぜいつも威張っているのよ。。。
私も彼らと一緒になって、やるせない思いでいっぱいになってしまった。
 
 
 
数年経ってからふと、その会社のHPを覗いてみたことがあったのですが、
本当に仙台営業所の表記がなくなってしまっていました。
 
 
仲良くして下さった彼女は、今頃どうしているのだろう。。。 
あの営業部長さんは、今頃どうしていらっしゃるのだろう。
 
 
何年も何年も、幾度となく。
私はずっと、これを思うのだろう。
 
 
 
人の思いや祈り、愛。
そんなものに根差した生き方へと、私は舵を切りました。
今でもまだ、多くの人から見たらそんなのは甘いと思われるでしょう。
でも、ここへ立ち戻らないと人間が人間性をどんどん失って行ってしまいます。
 
 
また、この国の国家というものが、国民の愛や幸福、喜びと平和のためにあるものだという概念も、
妄想だったということが露呈した7年だったと思います。
政治やそこに動く大きな額のお金、それらは私達市井の民から見たら全く別世界のものですし、
世界の不均衡、不条理、アンバランスは人間の精神の歪みそのものですからね。
 
 
 
7年が経ち、また今。
国の様相がまた変わる時が来ています。
この動き、うねりは、時に急激に見えるけれどもジワジワと、時代と共に人の意識を変えて行くでしょう。
 
 
不条理も理不尽も、哀しみも怒りも飲みこんで生きて行く人間の時間とは、
何と深く豊かな、味わい深いものなのだろうと思います。
繊細で深く澄んだお出汁のように、人はそれぞれの思い、経験から深い味わいを醸し出す。
 
 
生きるとは、それそのものが大いなる目的なのかも知れません。
 
 
ただただ、生きる。
全ての思い、記憶、経験を呑みこんで。
そして、過去からの魂の記憶すら包含して。
 
 
人に生まれた宿命を、全うして。
 
 
 
 
 
 
菫香
 
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