南信の休日 その1 ~プロローグ&満蒙開拓団~


おはようございます。
2泊3日の帰省を兼ねた南信への旅へ出て昨夜戻りました。



梅雨の合間の、束の間の透明な空と光。
水と空気、山、自然にすっかり癒された旅でした。


今回の旅、きっかけはいつもお世話になっているおやきカンパニーさんでの会話から。

「菫香さん、満蒙開拓平和記念館って知ってます? 」  と、おやきを食べながら唐突に振られたことでした。


満蒙開拓平和記念館。


これは数年前に民間運営で建てられた満蒙開拓団の記録の記念館で、実は私の出身地、地元にあります。
一昨年の秋には天皇皇后両陛下がいらっしゃったことで地元では大騒ぎになり、
こんな片田舎の小さな施設にまで目を留められる両陛下の眼差しの深さに畏れ入る気持ちになりましたが、
そしてそう言った施設が出来たことは知りつつも、私自身が訪れる機会はなかなかありませんでした。


それが、なぜおやきカンパニーで話題になるんだ???  とビックリ。



経緯はどうあれ、おやきカンパニーでシェフをしているトモさんは諏訪の出身で、彼女のルーツが
南信にあること。
そしてこの満蒙開拓平和記念館の設立に奔走した館長さんとどうやらお知り合いらしく、
6月の中旬に南信を巡り、いつもお世話になっているお米や野菜の生産者さんや友人達のところを巡る中で、
この満蒙開拓平和記念館へも足を運ぼうと思っていると言うのです。


なんと!!!  


ピコーンと、反応してしまいました。
私の地元にこのフタリが行くと言うのに、私が行かずしてどうする(笑) と。


「 それ、私も一緒に行っていいですか? 」  


と二人に申し出て、今回の旅が決定したのでした。



二人の旅は一週間の行程ですが、さすがにそれ全部は都合がつけられないので、
満蒙開拓平和記念館とその翌日の伊那のリンゴ農家さんだけご一緒することにして。

そして、おやきと野菜をこよなく愛するこのフタリのことです。
私の母と、絶対気が合うに決まってる。 


「 よかったらウチに泊まりませんか? 」  と、二人を私の実家へ誘うことにしました。


彼女達を案内するのなら、そしてどこか泊まる場所を探すのなら、母の畑を案内するのが一番だろうと(笑)




そうして始まった南信の旅。
私にとっては初日、おやきカンパニーの二人と、満蒙開拓団の歴史を研究するライターのなっちゃんとここで合流しました。


朝から駐車場には大型観光バスが停まっていたし、この後も80名の団体客の予定があると言う状態。
元々近くに温泉郷があるので観光客は多いのですが、こんなに小さな、民間の、ド田舎の記念館にしては異例でしょう。


満蒙開拓団については Wiki のまとめが簡潔で良いと思いました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E8%92%99%E9%96%8B%E6%8B%93%E5%9B%A3  




記念館のすぐ裏手に、長岳寺というお寺があります。
そこは戦国時代の武将、武田信玄がこの地で亡くなったため、
信玄の兄弟が住職をしていたこの寺で荼毘に伏した寺とされているのですが、
私が子供の頃、このお寺のご住職は山本慈昭さんという方で、実はこの方も満蒙開拓団の引揚者でした。

当時はこのご住職が中心になって満蒙開拓移民で取り残された残留孤児や婦人の引き揚げ、肉親捜しなどの活動が盛んだったこと、
私のクラスにも引き揚げ家族の息子さんがいたことを覚えています。 


負の遺産である満蒙開拓の歴史を保存展示し、多くの人の目に触れ、学びの機会を提供しようとする記念館の設立は、
勿論国の援助など受けられるものではなく、開設する場所、土地を提供してくれる行政もなかなか見つからなかった中、
満蒙開拓団へ多くの移民を送り出した南信地区の、阿智村という小さな村が土地を提供することになったのも、
慈昭ご住職の働きがあったからこそだったのだろうと思われました。



館内の様子は資料の撮影が出来ないので、こちらをご参考に。

https://www.manmoukinenkan.com/



長くなりますし、重苦しく感じられる方もいらっしゃるでしょうから今日は先ずこの辺で。




菫香
Sanctuary de Shinjyukugyoen


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