南信の休日 その2 ~ 満蒙開拓平和記念館 ~


先ず、昨日の大阪での地震に見舞われた皆様へお見舞い申し上げます。
どうぞこの後も、無理をせずお気をつけて下さい。


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さて、今日の本題です。


満蒙開拓については、私もまったくと言っていいほどの無知でした。
ただ、前回記したように子供のころに残留孤児2世が身近にいたことと、
長岳寺のご住職がそのような活動に熱心でいらっしゃった記憶から、
この地元にこうした記念館が作られたのだろうくらいに思っていました。



記念館の入り口に、御製の碑がありました。




天皇皇后両陛下のご行啓の際には、
こんな田舎の小さな記念館をご存じだったことに驚きました。







なぜこんなに満蒙開拓団のことが知られないのか。
私のように地元で多くの移民団を送り出した土地の者が、なぜそのことを全く子供の頃から聞かされていなかったのだろうと思った時に先ず思ったのが、この史実がいわゆる不都合な史実だったということに尽きるのだろうと思います。


それは多くの戦時中の悲劇、沖縄の惨劇、原爆の恐ろしさ、東京など都市部の大空襲などと少し違って、
遠く離れた現在の中国北東部での出来事だったこと、
そして、この史実には被害者の側面がありつつも同時に侵略に加担した加害者の側面も持つことが大きかったのだろうと思われました。


だから、美談に仕立て上げられないのですね。
同時に中国側の感情を刺激することにもなってしまう。


私の祖父は陸軍の人間で、現在の北朝鮮で終戦を迎えて、ソ連軍の追従を逃れようと
昼夜走り抜けて韓国まで逃れ帰国を果たしたと何度も聞いていました。
祖父の経験はそれも大変なものだったのだろうと思いますが、
それ以上に、より北部の奥深くへ送り込まれた軍人でもない民間の開拓団の農民たちが、
関東軍に見放され、集団自決を図るほどの惨劇が起きていたことは衝撃が大きかったです。

今回初めて知った事実がいくつもあって、
太平洋戦争の終盤、開拓団の移民には全く知らされずして関東軍はとっくに南下していたこと。
それなのに、たかだか14,5歳の少年達で編成された満蒙開拓義勇軍という部隊を満州の奥地、
つまりソ連軍の最前線に配置させていたこと。
また、私の地元からの移民団が終戦の数か月前という時間になっても尚、満州の奥地、
ソ連との国境近くへと送り込まれていたことなど。



調べてみると、当時の国策が満州という土地を太平洋戦争の補給地、資源供給地、
つまりはアメリカとの戦争のための”財源”と考えていたことなどが見えてきました。
だから死守したかったのでしょうけど、そのために民間人が多く危険な目に晒され、
中国のもとから住んでいた人々から土地や家を奪った恨みから敗戦の折には逆に襲われることになったり、
ソ連軍の侵攻により集団自決を図ったり、収容所の劣悪な環境で病気になったり、
そしてシベリアへ連れて行かれた多くの人々が命を落としました。



満州の史実はとても複雑で、被害者加害者両方の側面を持つもので、
だから今までなかなか記念館を建てることができなったということでした。



おやきカンパニーのお二人と、館長の寺沢さんと共に。


この日は館長の寺沢さんがお昼をご馳走して下さって、いろんなお話を伺うことが出来ました。

スタッフの皆さんが本当によく熱心に勉強、研究されているなぁと思っていたのですが、
なんと皆さんほぼ無給、ボランティアだとのこと。
民間の記念館だからお給料までなかなか賄えない中で、皆さんの熱意で運営されているのですね。
寺沢さんご自身もずっとボランティアで、設立計画時からずっと奔走されていらっしゃったそう。


ご両親が満蒙開拓団の引揚者だという寺沢さん。
天皇皇后両陛下がいらっしゃることが決まった時のことも、本当に実現するのか? とずっと思っていらっしゃったと。


確かに、そうだろうと思いました。


この満蒙開拓を促進し、そこから莫大な財を得ていた一部の政界人がいたのですね。
そして今、彼らの子孫が現政権の中枢にいて、またこの国が戦争を出来るようにと現代が動いているのですから。



記念館の資料や、ボランティアスタッフさんからの説明を聞いていた先ず思ったことがありました。

長野県はこの満州に渡った移民団が突出して多いのですが、それは国策に従うことで
それ以前に起こしてしまったことによる自分たちの汚名を返上したかった県が
熱心に率先したからだったそうです。
そして国は聞こえのよい美辞麗句を並べて満州を素晴らしい場所だと持ち上げ、
貧困に喘いでいた田舎から土地を継げない次男や三男などの男子を開拓団として送り込んで行ったのですが、
挙句の果てにそういった市井の人々を国は見捨てたのですね。


記念館で個人の体験証言をつづったコーナーでは、どうやって死のうとしたか、
どうやって周りの人々が死んでいったのか、生々しく綴られていました。


今また、同じような方向性が起こって来ているように感じてなりませんでした。
真実を見ないこと、告げないことによって世論を操作すること、
末端の声、現場の本当の姿やそこからの声を小さなものとして無視すること、
大衆意識を一つの方向に操っていないか・・・ など。


国家という ”幻想” のために人間一人ひとりの在り方が犠牲になるのはおかしいと思います。
国とはそこに住まう人々、民族の集合のはずなのに、国体、国家 という言葉になると
突然血の通った人間性が失われて、
人間そのものではなく、”国家と言う概念” の方が格上の、実態がないのに偉いものになってしまうのですね。


そして近代史を正しく教えないのは、これからの日本にとっての悲劇だと思いました。
自分たちが被害者のお話ししかせずに、中国大陸でどんなことが起きていたのか、
日本人が何をしたのか、それを直視しないことには双方の関係性は良くなりません。


お金で解決しようとする姿勢って、親が子供にとりあえずお金だけ与えているのと同じじゃないかなと。
そんなことを求めているんじゃない、きちんと向き合って、人と人として関係性を繋ぎたいんだと、
本当はそうやって、中国や韓国から言われていたとしたら?



新宿へ帰って来てから、私自身、中国観光客へ向ける思いや目線が変わりました。
昨今の新宿の中国人観光客の多さったら本当にすごいのですが、
もしかしたらこの人たちのご先祖が、私たちのおじいちゃんおばあちゃん世代の人達に
家や住む土地を追われたのかも知れない。

もしかしたらこの人たちのおじいちゃんおばあちゃんが、私たちの祖父母や父母が、
帰国を諦めて中国人に預けた日本人を大切に育ててくれた人たちかも知れないし、
満州に入植した日本人が小作人として雇った中国人だったかも知れない。



そんなことを思ってしまうのです。
歴史の因果は、深く複雑に絡み合いながら今を形成しています。


最後に、開拓者の証言コーナーで一番響いた言葉をメモして来ましたのでご紹介したいと思います。


「 生死を分けたのは、指導者だな。その開拓団の。
  みんな連れて帰るんだ、みんな生きて帰らなきゃいけないぞっていう考え方と啓蒙だな。
 もうだめだから死んだほうがいいて、これじゃあどうしようもない。
 団の方向性に基づいて死んだ人も多くあるんだよ。

 指導者ってのは一つ間違えればとんでもないことになっちまう。
 戦争ってのは恐ろしいよ。
 指導者と、それを賄う人たちの考え方でな。 」  植松 辰重さん



自分の後ろにはたくさんの犠牲になった開拓団の霊がいっぱいいて応援してくれていると語る寺沢さんは、
この記念館を自虐史観や被害者的な視点、はたまた歴史を美化するものではなく、
中立に史実を正しく伝える場として、一人ひとりが考えるための場としたいと仰っていました。


国という単位、国家というものの話になるといきなりヒステリックになったり右傾化したりする昨今、
中庸の真実を見つめる取り組みは、とても必要な気がしました。




菫香
Sanctuary de Shinjyukugyoen

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